長浜市三田町の三田村氏館跡は、土塁と堀のみが残る在地領主の居館でありながら、2006年に国史跡に指定された貴重な遺跡です。小谷城跡や観音寺城跡と並び、中世近江の歴史を語るうえで欠かせない存在です。
本書の著者・清水氏は館跡近くで育ち、その郷土への深い愛情が全編に息づいています。弥生時代から三田村の歴史を掘り起こし、中世を理解するために古代からの連続性を示した点は特筆すべきでしょう。
中心となるのは三田村氏一族の歴史で、京極氏・浅井氏との関係を軸に近江中世史を立体的に描き出しています。さらに村落や農民との関係にも目配りし、在地領主の実像をわかりやすく提示しています。館跡が傳正寺の境内として残されたことにより、土塁・堀、さらには複郭構造まで確認できる点も本書で丁寧に説明されています。
地元出身の著者が、子どもにも読める平易な筆致で三田村の歴史を生き生きと描いた本書は、郷土の歴史を知り、誇りと自信を育むうえで最良の一冊です。まず地元の方々に、そして全国の読者に広く薦めたい好著です。 中井 均(滋賀県立大学名誉教授)

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三田村の始まり・・・集落の北東に残る野神塚古墳

三田村一族の起源は、3世紀初頭に朝鮮半島南部の戦乱を逃れて倭国へ渡来した「三田氏」にさかのぼると伝えられます。当時の倭国には文字がなく、彼らの姿を知る手がかりは中国の『魏志倭人伝』のみです。渡来人の一団は滋賀県北部の姉川・草野川流域に移住し、原生林に覆われた未開の地を、持ち込んだ製鉄技術と稲作の知識を用いて開墾しました。こうしてこの地に根づいた渡来人こそ、三田村一族の遠い祖先です。
三田氏の特徴は、技術を独占せず周囲に広めた点にあります。彼らが鍛造した鉄製農具は当時として画期的で、地域の農業生産力を大きく高めました。姉川流域は良質な米の産地へと成長し、彼らの稲作技術は後の「近江米」の源流となります。また開墾の進展により集落が形成され、やがて「三田国」と呼ばれる地域文化圏の基礎が築かれました。
しかし、60年前まで残っていた古代の営みを物語る小規模古墳群は、土地改良事業の重機による削平で多くが失われました。農地の効率化は進んだものの、地域の歴史的景観は不可逆的に損なわれ、当時高校生だった私はその消滅を見守るしかありませんでした。


『三田村一族の興亡』は、十年の歳月を注ぎ込んだ渾身の一冊です。鎌倉・室町の中世社会へ思いを馳せながら、当時の時代背景を歩くように辿り、武士から農民、商人、職人に至る人々の暮らしや心の動きを追いかけました。本書を開けば、目まぐるしい現代とはまったく異なる世界が立ち上がります。喧騒から離れ、ひととき中世の空気に身を置くことで、現実からそっと離れる清涼剤のような時間を味わっていただけるはずです。どうぞ、中世というもう一つの現実を旅する感覚でお楽しみください。
六角・京極・浅井の三勢力は、近江という「交通の要衝」をめぐって、 調略・裏交渉・情報戦・寝返り工作・密使派遣・婚姻外交・国人領主の引き抜き など、武力以外のあらゆる政治戦術を駆使していました。 しかも三者は「同族(佐々木一族)」でありながら、互いの弱点を熟知していたため、 情報戦の密度は他国よりもはるかに濃密でした。
①京極氏の密議が象徴するもの・・・京極氏は六角氏・浅井氏と比べて、 「軍事力よりも政治的手腕・調略・文治」を武器とする家として描かれることが多い。 密議の場は、まさに彼らの強みである 知略・交渉・情報戦 が凝縮される瞬間です。ここでは刀よりも言葉が鋭く、沈黙が重く、 一つの判断が国境線や同盟関係を揺るがす―― その“知的な緊張”が空気として漂います。

②高所ゆえの“落ちてはならぬ”緊張・・・山城は高みに築かれるがゆえに、 その場に立つだけで、足元の不安定さが心を揺らします。足元の石段は、夜露でわずかに滑り、 一歩踏み外せば闇へ吸い込まれるような深さがあった。 その危うさが、城に立つ者の心を静かに締めつけていた。高所は支配の象徴であると同時に、 「落ちれば終わり」という原始的な恐怖を呼び起こします。

③夜の琵琶湖畔に深緑の水面が広がり、金灰の月光が静かに差し込みます。葦の間に潜む密使が文を受け渡す瞬間を捉え、湖面に映る月が二重に揺れて裏切りの二面性を暗示します。遠くには小谷城の影がぼんやりと浮かび、浅井氏の暗躍を象徴する構図です。

Amazing Grace
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