
湖北・三田村一族の歴史を描く名著!
滋賀・北近江に刻まれた、もうひとつの歴史がここにある。


三田村家 歴代城主一覧
初代 | 三田村左衞門尉幸弼 | 源頼朝より地頭職を拝命して赴任。官位は従五位下「三田村左衞門尉」で、代々の城主は左衞門尉を名乗る。 |
二代 | 三田村左衞門尉幸真 | 承久の乱(1221年)で後鳥羽上皇方に味方した城主が討ち死にした。後任として佐々木家から定義が派遣される。 |
三代 | 三田村左衞門尉康家 | 近江守護京極持清の命により三田村の地頭職として赴任。亀若丸(浅井重政)を育てる。居館の新築。 |
四代 | 三田村左衞門尉友家 | 応仁の乱に巻き込まれる。京極家の家督相続をめぐる内紛が始まる。越前に逃れ定着する。 |
五代 | 三田村左衞門尉康定 | 六角氏の浅井氏総攻撃で三田村氏は浅井と六角方に二分し、城主は六角方になった。康定亡き後、義弟の忠政は浅井氏側につく。以後、浅井氏に肩入れするものが三田村家の主流となる。 |
六代 | 三田村左衞門尉氏光 | 清水谷に屋敷を設ける。浅井家との血縁関係深まる。六角氏と決別し浅井氏の筆頭家臣となる。波切小車紋に変更 |
七代 | 三田村伊予守定頼 | このときに城主家の交代があった→左衞門尉から伊予守へ官職が変わっている。浅井亮政の娘と結婚。 |
八代 | 三田村飛騨守光頼 | 官名変更→城主家の交代。浅井家と信長の同盟を強力に推進。浅井家では三田村氏が筆頭家臣として重んじられる。 |
九代 | 三田村相模守定元 | 官名変更→城主家の交代。箕作城攻撃戦で秀吉の身代わりに戦死。浅井長政が三田村まで足を運び、定元の遺髪と槍を届ける。 |
十代 | 三田村多賀備中守国定 | 姉川合戦で三田村城は朝倉氏の本陣として使用されたが、朝倉軍の敗退で落城。以後は廃城となる。浅井長政と命運をともにする。国定は信長の裁定で斬首刑。 |
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |