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「戦国六角記」― 湖国を揺るがせた名門一族
六角氏は近江国を支配した名門で、室町幕府の要職を務めた一族です。本書は、彼らが中世近江の政治・社会をどのように動かし、戦国の混乱の中で衰退していったかを描きました。特に六角高頼・義賢の時代には、交通の要衝を押さえ、商人や寺社と連携し、独自の法度を整備するなど、地域社会を支える行政力を発揮しました。しかし浅井氏の台頭や国人勢力との対立が深まり、家中の結束も弱まっていきます。織田信長の観音寺城急襲によって六角氏は一戦で本拠を失い、二百年以上続いた守護支配は終わりを迎えました。六角氏を単なる敗者としてではなく、近江社会を形づくった政治集団として再評価し、南北朝・室町・戦国を通じて激動の時代を生きた一族の決断と迷いを立体的に描きました。観音寺城の攻防や浅井氏との対立などの劇的な事件を通し、湖国の重層的な歴史が浮かび上がる作品です。
史料の闇に分け入るほど、観音寺城を中心に時代を駆け抜けた六角氏の軌跡が、一地方史を超え、中世そのものの鼓動を映す壮大な物語として立ち上がってきます。六角氏の興亡を軸に、南近江が抱え続けた光と影を、より大胆に、より深く、より劇的に描き出しました。
二冊(三田村一族の興亡&戦国六角記)を併読いただくことで、北近江と南近江の歴史的文脈が有機的に結びつき、近江中世史の全体像が立体的に把握できるようになります。近江の中世社会の豊かな実像を、じっくりと味わっていただければ幸いです。

近江を動かし、時代を揺らした名族・六角氏。その実像は、いまなお謎に包まれています。本書は、鎌倉から戦国末まで続く彼らの長い歩みを、ドラマ性と史実の両面から徹底的に掘り下げました。
観音寺城の攻防、南北朝の乱、戦国大名としての挑戦と挫折――激動の歴史の中心にいた彼らの姿が、いま鮮やかによみがえります。
“湖国の歴史がこんなにも面白い”と実感できる、決定版の一冊です。

京都新聞(利用許諾済み)
六角氏は近江守護としての地域支配だけでなく、
管領代(かんれいだい)・・・室町幕府の最高政務官「管領」の 代行職 (六角定頼)
引付頭人(ひきつけとうにん)・・・室町幕府の司法機関「引付(裁判所)」のトップ (六角氏頼)
禅律方(ぜんりつほう)・・・禅宗・律宗の僧侶の任免、寺院行政を扱う宗教行政部門 (六角氏頼)
検非違使(けびいし)・・・京の警察・裁判を担当 (六角時信・氏頼)
など、室町幕府の中枢に深く関わる役職を歴任しました。 特に六角定頼の時代には幕府政治への影響力が最大となり、六角氏は「畿内政治の要衝を担う名門」として機能していました。小説の主人公は、六角頼綱(2代)、氏頼(4・6代)、満綱(9代)、高頼(12代)、承禎(15代)、義治(16代)。六代の当主たちは、それぞれ異なる時代を生き、異なる答えを求めた。下の家系図では、
六角氏と京極氏の名字は「京都にあった邸宅の所在地」に由来し、現在の正確な地名に置き換えると以下の場所になります。
★六角氏の邸宅所在地(由来地名)六角氏=京都「六角東洞院」に邸宅があった。● 現在の住所 京都市中京区東洞院通六角下ル付近 (中京区の「六角通 × 東洞院通」交差点周辺)
★京極氏の邸宅所在地(由来地名)京極氏=京都「京極高辻」に邸宅があった。 ● 現在の住所 京都市下京区高辻通柳馬場東入付近 (下京区の「高辻通 × 柳馬場通」周辺)
観音寺城 地形図

六角一族の家系図

観音寺城は無数の家臣団の屋敷によって囲まれている。その家臣団が協力一致して城を守ろうとする時には、無比の堅城ぶりを発揮するが、彼らの心が離散し、或いは相互に反目し合っているならば、逆に収拾し難い動乱と混乱を招き城全体としての守備力は支離滅裂となってしまう。
観音寺城はその外的防備力においては驚嘆すべき体制を整えていたが、残念ながら、城主六角氏は、その末期に凡庸又は幼弱の城主がつづいた。勇ある城主は知に欠け、知あるものは勇に欠けた。
家臣団は互いに権勢をきそい、反目し合い、策謀と裏切りとが相ついだのである。
執筆を終えて・・・筆を置いた今、深い安堵とともに静かな充実が胸に満ちています。 だが、私の歩みはまだ終わりません。 余命の時間はなお豊かであり、心には次なる一冊への火が静かに灯っています。 これからも私は、地域に寄り添う中世史の道を歩み続けます。