六角一族

「戦国六角記」― 湖国を揺るがせた名門一族

湖水を染める旗…近江六角一族の軌跡・・・日本の大動脈・琵琶湖を抱く近江国。

拙著『三田村一族の興亡』は、郷土の歴史を静かに辿るつもりで書き始めた一冊でしたが、史料を読み進めるうちに北近江全体の中世史へと広がっていきました。思いがけず多くの方々にお読みいただき、身に余る励ましを頂戴いたしました。

その経験を経て、今回は「南近江の中世はいかなる姿を見せていたのか」という問いが私の中に芽生えました。南北で性格の異なる近江の歴史を、もう少し丁寧に見つめたいと考えたためです。

調査をし進め、南近江の守護大名から戦国大名へ成り上り観音寺城の城主として武威を誇った六角氏の軌跡を辿りました。観音寺城は安土から近江八幡にまたがる衣笠山の近江の中世史は愛知川を境に南半分を六角氏が占領し、愛知川の北から近江の最北端までは京極氏が支配していましたが、応仁の乱(1466~77年)からの下剋上に入ると北半分は浅井氏が支配してゆきました。しかしさしもの日の出の勢いを誇った浅井氏は僅か50年の支配で「姉川合戦」に敗北し没落しました。

このたび、そうした思いをもとに六角氏を中心とした新たな一冊をまとめました。ささやかな試みではございますが、近江の歴史に親しんでいただく一助となれば幸いに存じます。

六角氏は、近江国を中心に勢力を持った佐々木氏の嫡流で、鎌倉時代から戦国時代にかけて活躍した武家・戦国大名です。

観音寺城は標高432.9m、南北に伸びる繖(きぬがさ)山の山上に築かれる。南腹の斜面に曲輪を展開、家臣や国人領主の屋敷を配した。総石垣で、安土城以前の中世城郭においては特異な点とされる。天文年間には城下町・石寺も置かれ、楽市が行われていた。周辺は琵琶湖や大中の湖、美濃から京都へ至る東山道、長光寺集落から伊勢へ抜ける八風街道があり、それらを管制できる要衝に位置する。

これらを総合して清水修吾が老境に差し掛かるも艱難辛苦の末六角一族の興亡史を書き上げた。最初の著書「三田村一族の興亡・・・秀吉も一目置いた湖北の武士団」と今回の六角一族の著書を合わせて近江の中世史がここに完結しました。

近江の南半国を支配し、室町から戦国へと激動の時代を駆け抜けた名族――六角氏。

本書『戦国六角記』は、鎌倉幕府の御家人として歴史に姿を現した六角氏が、守護大名、そして独立した戦国大名へと成り上がっていく過程を、最新の研究成果と豊富な史料をもとに描き出す歴史ノンフィクションです。

同族である京極氏との果てなき暗闘。

国人一揆による当主自害という絶望的危機。

観音寺城を舞台に繰り広げられた攻防と、六角定頼が築いた黄金期。

そして織田信長の台頭に抗いながらも、湖国に深く刻まれた六角一族の魂。

六角頼綱の決断、氏頼の苦闘、満綱・持綱の散華、定頼の治政、義賢・義治の抵抗――

湖水を染めた旗の下に生きた武士たちの息遣いが、いま鮮やかによみがえります。

歴史ファンはもちろん、近江の風土や戦国史に関心を持つ読者にも強く訴えかける一冊です。

湖国の風が語り継ぐ六角一族の軌跡を、ぜひご堪能ください。

著者コメント

六角氏という一族は、近江の歴史を語るうえで欠かすことのできない存在でありながら、その実像は意外なほど知られていません。彼らが歩んだ道をたどることは、単に一つの名族の盛衰を描くことではなく、湖国が抱えてきた政治・文化・社会の重層性を読み解く作業でもあります。

本書では、鎌倉御家人としての出発から、南北朝の動乱、観音寺城をめぐる攻防、そして戦国大名としての成熟と終焉まで、六角氏の軌跡をできる限り丁寧に追いました。史料の行間に潜む人間の息遣いを感じながら、彼らがどのように決断し、迷い、抗い、そして散っていったのかを描き出したい――その思いが執筆の原動力とな戦国六角記 ― 湖国を揺るがした名門一族。令和8年5月に販売予定です。¥1,500 送料¥200